出所

今から何年経つだろうか?私は昔クスリで幾度か刑務施設に入出所して来た。私の悪い過去の事をこうして公開するなんて何て馬鹿げたことかと皆思うかも知れないが恥をしのいで公開してみた、刑務所ははっきり言って辛い刑務作業がきついとかではなく対人関係に担当に罵倒された時の悔しさ特に幾らもいかない若い担当グッと拳を握ってすみませんと言う惨めさ、其れと対人関係にはかなり辛い思いをした、懲役では刑務所ヤクザが沢山いるからである、何処かのヤクザを名乗り中でブイブイ粋がっている懲役、一歩外に出ると何でもない堅気の所謂懲役ヤクザが多いのが現状なのだ。
中で着る下着等も官の支給品と自身で購入する物の違いだけ人間性を見られてしまうのが刑務所なのである、地獄の底も金次第とは此の事である。中では色々な辛い思いを繰り返して来た私ではあるが、何回出入りした事か担当とも顔馴染みに成り良くして貰ったりと色々な事ををこうしてキ-ボ-ドを打ち乍思い出す、中での辛い思いが一歩外へ出てしまうとコロッと忘れてしまうのには驚きだ、兎に角中で馬鹿にされるのが性犯罪に泥棒さん達でである。懲役は所謂(寄席場)なのである、色々な国の人間と共に同じ部屋に一緒に暮らして行かなければ行けないのである。例えば外人犯罪者も今は増えているが、私は外人とは仲良く出来て来たが他の懲役囚達は喧嘩ばかりしていた様な気がする。皆懲役の中で辛い思いをして社会復帰して来た人達も又戻って来る人も多々いるが私も人の事は言えないのである、私も再犯の繰り返しで何度刑務所にて辛い思いをして来たのかと今こうして考えるとやっぱり自由の無い世界より自由のある社会の方が格別に違う。幾ら中での辛い思い辛い仕事を振り返って見ても出所間近になると社会人の顔に成って来るそうである。やはり出られると言う思いが顔に出て来るみたいだ、祝日には必ず甘シャリ(菓子)等が出る。そう言った菓子等も出所間近の満期3ヶ月前の懲役は皆に食べさせるのがしきたりではあったが今では大分担当の目が厳しく中々どうしてそう言うしきたりも減ってきた感じもする。ではあるが私の居る時はしっかりと貰っていた気がする。
こうして綴って来たが一番に知らせたいのが今の若者達である、刑務所を甘くみたら大変な思いをすると言う事である、今の若い者は簡単な気持ちで薬物等に手を出すが行くのは地獄なのである。兎に角刑務所を舐めるなとでも記しておこう。やはり何だかんだと言っても出所間近の嬉しさである、心がワクワクして誰がなんと言おうとも上の空なのである、担当も知っているのか余り怒らなくなる。出所する翌日等は私は嬉しさの余り一度も寝たことが無い、担当も(おいっ)早く寝ろっとは言わない。
そして出所の日、中であった色々な嫌な思い出に辛い苦い思いが全て忘れるのには驚くばかりである。いの一番に駆け寄る所が煙草屋であるが最初の一服のまずいことまずいこと、此れならいっそ煙草を止めたほうが良いと思うが、やはり私には煙草は止められなかった。何にせよ幾度と無く入出所を繰り返して来た私ではあるが刑務施設には例え何が有っても行くべき所では無い。春、夏、秋、冬と色々なシ-ズンに出所を繰り返して来た私ではあるが、人生の出所はまだ先のようである。 了 s.nakamura

私が16歳の時だったろうか?バイクの免許を取得してヘルメットを被らずスズキのGT380ccで高校に通いながら同級生のA.Hと言う女性と何故か恋仲に成り此のこは同じ学年でも結構優等生で頭も良く私みたいな悪とは無縁の女性ではあったが私が始めて処女を破った子でもあった。初めてのHではとても痛がっていたが3度目の注入の時はスンナリ入った。私は当時シンナ-に夢中であったが彼女は全く薬物は遣らない。その時バレンタインに貰ったレコ-ドはダイアナロス&スプリ-ムスだったと思う、今から何年経つだろうか?45年前の事であるが、私の脳裏にしっかりと浮かんでいる。彼女は正月元旦に何処か雪国に行きたいと言い出した、何処行く?と尋ねたら結局北海道に行く事に決まったのだ、所謂駆け落ちみたいなものである、途中夜行列車で切符もキセルを使ってての乗車なので車掌が見回りに来ると便所に隠れては青森迄何とか辿り着き青森から連絡船に乗り函館に着いた途中札幌で雪合戦で大笑いしたのが何故か単純な事なのだが楽しい思い出でであった。そしてタクシ-の運ちゃんに何処か安い旅館に連れて行ってくれといい連れて行かれた旅館がボッタクリの旅館であった、当時一泊7千円位取られたろうか?その次の日に違う旅館に泊まってHをして終わったときお上さんがカレ-ライスをご馳走してくれたのだ、彼女が綺麗に洗ってご馳走様と文章と共にドアの前に置いて置いたらお上さんがとても気に入ってくれ今の若い者にしてはとても礼儀正しいと気に入られ私たちが東京から駆け落ちして来たと話をしたら親身に成って聞いてくれ私はバ-テンで彼女はホテルの受付だったかも知れないが、彼女は捜索願が出ており仕事を向かえる前の晩Hをしている途中ドアがトントンとノックをするのでお上さんかと思ったら何と刑事であった。彼女は急に泣き出しそれから牢屋に(二人に一緒に寝かしたいけどな)そう言う訳には行かないから確か隣同士で寝かされたと思うが朝まで私と彼女と刑事と爆笑の雑談で一睡もしなかつた。

そして次の日彼女のお袋さんと私のお袋が東京から迎えに来て一緒に帰った様な気がする、帰ってから彼女の態度が急変に私から通ざかって行く様な気がした。何故かと言うと私の友達と恋仲になってしまったのである。私は彼女が好きだったので激怒して彼女に問い詰めたらもう彼女は以前の彼女の真面目な点は無くすっかりと不良に成りかけてしまった。何故ならば私がヤンチャばかりしていたのでSEXも私が女の目覚めを覚えさせたので色々な男へと走り出していったと私は思う。であるが何で私の友達と恋仲にならなきゃいけないのか?と私は余りにもショックで何度も何度も電話を掛けたりし合って分かれるのは嫌だと情けないが涙ながらに訴えたものであった。でも彼女首を縦には振らなかった。其れほど彼女をほかのしかも私の友達に取られるとは信じがたかった、此処で普通の男だったら友達をぶっ飛ばして何だてめえと言いたかったが幾ら悪街道の私でも彼女の代わり様にすっかりと冷めていった気がする。

その後私にディスコで知り合った新しい女が出来たので幾らかは彼女への思いが通ざかって行った。後から風の便りで聞くと性の目覚めから色々な男と関係を持つような女性に成っていったそうだ。だが当時彼女と付き合っている時私にも他の彼女と言うか彼女の友達が私の事を好きだった女性がいたのだ。でも私は面食いだったのでA.Hの彼女より顔が幾らか劣る女性が余り当時好きに慣れなかった北海道に行く前にその彼女に電話して此れから北海道へ行くんだ、とその旨伝えたら私も連れて行ってと行ってくれた彼女に最初から付き合っていたら嫌な思いはしなかったろうになと心に思った。

帰ってもその子は一切口を聞いてくれなかった思いがある、そんな中で私は高校を退学になり水商売に働く様に成った。こんな小さな一頁なる青春が私にあったである。まだまだ面白い青春時代を紹介したいが又の機会に記すのでその時はあしからず。此れは私のほんの青春のイッペ-ジなのである。    了  tokyobowy

おふくろ

拝啓お袋元気ですか。幼い頃から何時も一緒に生きて来て貴女は私に本気怒ったことか゛無かった気が今になってふっと思う時があります。昔から病に苦しんでいた私に仕事を休み乍らも大学病院をあちこち廻り一生懸命世話してくれ私の成長を見守って行く中で途中私が悪さをし逮捕されたときも必ず黙って警察まで足を運んでくれ私が刑務所を出所する雨の降る早朝に傘と杖を持っている貴女の姿は一生忘れることは出来ない。また私が某刑務所に入る前までは一緒に暮らし出所した時には貴方は居なかった。高齢者による痴呆症により老人ホ=ムに入所したことを私が知り一番に面会に訪ねたらあれ程迷惑心配をかけてた私の顔を名前すら覚えていないことに私はびっくりする帰り際一人車の中で何故か目に涙が出てくるのがとまらなかった。今思えば貴女は私とは違う世界で違う環境にて一生懸命いきすすんで居ることでしょう。何時も私のそばに居てくれてた貴女と同じ世界に居ても貴女は貴女なりの世界を持ちうけたのだからそこで残りの人生を目一杯楽しんで貰いたい思いである。貴女には今まで散々と苦労の掛けっぱなしだったが今はそれすら貴女は覚えていない。都合か良いと思われるが今の貴女は昔のことはすべて忘れて今現在を十分満喫して生きてくれるだけで私としては此の上ない喜びとして感じて生きたい。貴女は必ず長生きします。だから今の貴女の世界で貴方なりの毎日笑顔の絶えない生活をして貰いたい。貴女は必ず長生きします。だから今の貴方の世界で彼方なりの毎日笑顔の耐えない生活をしてもらいたい。暇が出来たら又会いに行くのであなたの自分の子供の名前と顔くらいは覚えてほしい。今までの私の迷惑彼方の困り果てた顔や姿が今の私の脳裏にしっかりと焼きついているので彼方が抱えていた苦労の面影は私が全て受け継ぐので貴女の過去の思いは全て消し去り此の先を生きてくれるだけで私としては心が安らぐ中で貴女のことは何時までも私の魂の中に焼き付けて生きたいと思う。貴女が天国へ旅立つ姿は決して見たくは無いがあなたのことは最後まで私が見守ります。あなたの死に水は私が必ず取ります。其れまでは何が何でも今の此の厳しい世の中を懸命に頑張って生きていくので貴女にはめいいっぱい余生をを楽しんで貰いたい。万が一貴女より私の方が先に天国に旅立った時にはどうか許して貰いたい。お袋今まで本当にお疲れ様そして心から有難うと言いたい。 s.nakamura